ペットボトルの価値
風が吹けばガタガタと揺れる六畳一間の木造はそれでも、共用部にゴミ出し場がある程度にはホスピタリティが整っている。
会社が近い僕はゴミの回収時間に起きないことも多いので、もっぱら寝る前にゴミを出す生活を送っている。
さて、学生時代からゴミの分別など考えても来なかった。
瓶缶構わず燃えるゴミ、硬派なスタイルを貫き続けているが、そんな性格が20代も後半なのにこんなボロアパートに住んでいる要因の一つだろう。
ある日いつもより早く家を出ると、大家らしいおばあさんが僕の出したゴミを分別していた。
ペットボトルを抜いては、小さなビニールに詰めている。
一声謝ろうと思ったが、おばあさんがあまりに無我夢中で作業していて、いや言い訳だ、自分のゴミを分別されている気恥ずかしさで僕は見なかったことにして通り過ぎた。
どうせ僕のゴミかどうかなんてわからないのだ。
会社に行っても自分の矮小さが忘れられず、その日は度数の高いチューハイを飲んで寝た。
次は謝ろう。
分別はしない。
さてそれから2週間、ついに機会が訪れた。
日曜出社して月曜も7時から、結構なことである。
こんな日はレッドブルがうまいのだと思いながら階段を降りると、ペットボトルを詰める大家の姿があった。
「おはようございます」
自分でも驚くほどはっきりと伝えられたと思う。
大家は後ろを振り返るなり、小さなビニール袋を投げ出し走り交差点へと消えて行った。
ゴキブリのようなババアだ。
謝罪する気はこれっぽっちも残らず、なんともいえない気持ち悪さだけが月曜の僕を更に憂鬱にさせる。
会社に向かう下り坂で、中年の男が大家と名乗っていた入居の日をふと思い出した。
ゴキブリめ。
今日は度数の高いチューハイを飲もう。